「けものフレンズ2」総評~PPPを主人公にすべきだった理由~
TVアニメ「けものフレンズ2」の放送が終了した。
様々な論評が飛び交う中ではあるが、私個人も、この作品についてはしっかりと自分の意見を表したいと思い、こうして記事を書くことにした。
それでは、どうぞ。
1:まず前提として、木村監督はプロだ。
まずはじめに言っておきたいのは、私はこれから作品の具体的な部分について、「ここが良かった」「ここが悪かった」といった事については一切話さないという事である。
正直、それを論ったところで、あまり意味は無い。
所詮、それは前作と比較し、監督やスタッフの得手不得手を明確にするだけであって、もっと大事な部分を不明瞭にするだけだからである。何も産まない不毛な議論だ。
私が今回一番大事にしておきたい部分、それは、
「監督がこれを本当にやりたかったのか」
というところ、その一点に尽きる。
なぜこれを強調しておくのか。
それは、監督のこれまでの来歴から鑑みて、この「けものフレンズ」をやるとは到底思えないからだ。
木村監督の代表作といえば、2012年10月8日から2016年3月31日まで、4年間放映された
「アイカツ!」である。
テレビ東京、バンダイナムコ、サンライズの三社によって作り上げられたこの小学校高学年生をターゲットにした(建前)本作は、個性的なキャラクターによるポジティブな内容、高クオリティな楽曲と3DCGのPV、そして中毒性のあるネタやオマージュなどが好評を博し、幅広い年代層(意味深)から支持されるコンテンツとなった。
2014年には「劇場版アイカツ!」が公開。
公開2日で15万6949人の観客を動員し、2014年に公開されたスクリーン数200以下の作品としては、最多動員を記録した。また「ぴあ」による初日満足度ランキングで93.3点を獲得し、同時期に公開された映画のなかでも第1位となっている。
その後も勢いは衰えることなく
とバトンを受け継ぎ、今日も日本中の子供たちと大きなお友達を夢中にさせ続けている。
さて、このアイカツ!、カテゴリとしては「女児向けアイドルもの」である。
故に、その作品を成功させ、現在まで続くコンテンツに仕上げた木村監督は、
「女児向けアイドルもの」のプロである、ということは誰もが認める所であろう。
そして「けものフレンズ2」8話「しんきょくらいぶ」
この回におけるPPPのライブシーン、その品質の高さは誰もが認める所であった。
無論ライブシーン抜きでも、この回は、監督が楽しく作っていることが伺えた。ニコニコ動画でも「本職」とのコメントが散見されるほどだった。2に否定的な人でも、この回は大好きだという人は少なくないだろう。
……と、こういう経緯を見ていくと、私はなんとなく、「本当は木村監督はアイドルものがやりたかったんじゃないのか」と勘ぐらざるを得ない。そのほうが監督にとってもかなりやりやすかっただろう、アイカツ!での経験を存分に発揮できるのだから。
2:KFPの知らない、アニメ「けものフレンズ」成功の理由。
実は、この話、裏を返せばアニメ「けものフレンズ」が成功した理由の根本が隠されている。
同時期に放送されたたつき監督の作品「ケムリクサ」
放送中、たくさんのファン達は口々にこのような言葉を口にした。
「けものフレンズと通じるものがある」と。
当然だ。
たつき監督はケムリクサを10年前に作っているのだ、
同人DVDプレ値してるね。復刻版出せば売れるね。期待してますよ。
そして、その「ケムリクサ」の骨子を「けものフレンズ」のフォーマットに移植して完成させたもの、それこそがアニメ「けものフレンズ」であるのだから、これで似通らないほうがおかしいだろう。
ここから類推すると、「なぜ、アニメ「けものフレンズ」があれほど完成度の高い作品になったのか」という理由はこの一つに絞られる。
それは、あの作品は、「けものフレンズ」を作る前に、たつき監督の中ですでに完成していたから。
そして、たつき監督の骨子を受け入れるに足るフォーマットを、けものフレンズ側も提供出来たから、という事だ。
「けものフレンズ」という拡張性に富んだ入れ物に、「ケムリクサ」という完成された中身が詰まった。
それこそが、アニメ「けものフレンズ」成功の理由なのだと私は考える。
しかし、今回の「けものフレンズ2」は、これとは全く異なる形式で制作されたとしか思えないのだ。
例えるならば「アニメ けものフレンズ」という一つの完成された物に、時間のない状態で見切り発車的につくられた物を追加した、とでも言えばいいだろうか。
正直、この形式で制作されたものはまず間違いなく成功しない。
一番手っ取り早い方法ではあるが、あまりにもリスクが大きすぎるのだ。
監督は、前作のプレッシャーを抱えながら制作しなければならない上、自分の得意な事を殺しながら制作しなければならない、これで良いものができるとは思えない。
そしてファンは、一つの完成されたものを他者の手によって不完全なものにされてしまう。これに対して素直に喜ぶ事は難しい。
結果、お粗末な結果に終わり、制作会社や委員会や企業は大損をする、今後に希望も持てない。
”三方よし”とはかけ離れた、”三方一両損”ならぬ”三方全損”である。
KFPは、木村監督に今作を依頼する時に、2つの単純な事をしっかりと自覚しておかなければならなかった。その事を踏まえて、2の方針を固め、制作を進めていかなければいけなかった。
それは
木村監督はたつき監督にはなれない。
そして
たつき監督も木村監督にはなれない。
そんな単純極まりない事である。
3:理想的な木村監督の「けものフレンズ2」を妄想する。
では、今回の「けものフレンズ2」どうすれば成功したのか。
簡単な話である。
アニメ「けものフレンズ」で成功した理由をそのまま持ち込めば良い。
つまり、
これ以外ありえないだろう。
たつき監督が「ケムリクサ」という完成したものを持っているのと同様に、木村監督も「アイカツ!」という完成したものを持っている。
ならば、「アイカツ!」と同様の内容を「けものフレンズ」でやればいい、
たつき監督が「ケムリクサ」と同様の内容を「けものフレンズ」でやったように。
それがリスクが最も低く、そして監督の手腕を遺憾なく発揮できる唯一にして最大の方法ではなかっただろうか。
少しだけ、そんな「けものフレンズ2」を妄想してみよう。
まず、主人公はパークの芸人アイドル”PPP”になるだろう。
PPPとマーゲイはジャパリパークを巡るツアーの真っ最中。
行く先々では問題を抱えるフレンズ達がいる。
パークのヒーローでもあるPPPは、フレンズの問題を解決するために、崖を登ったり
木を斧で切ったり
闘牛をしたり
他のフレンズと協力したり
とにかく、穏やかじゃない方法で奮闘する。
このへんの行動は無茶苦茶でも支離滅裂でも構わない。
とにかくアイカツ!のノリと流れを重視していけば、視聴者はその中で「そういうものだ」と理解する。そうなってしまえばこっちのものだ。
PPPもこれくらい余裕でこなせるポテンシャルは十分にあるだろう。芸人だからな。
問題を超展開で解決した後は、SEGAの完全協力によるライブパート。
ありがたいことに、PPPは大量の楽曲レパートリーが存在する。
そして全部神曲である。
けものフレンズは、あの「バンバン」から、トキの歌を除き、一曲たりともファンの期待を裏切る楽曲を出す事はない。古事記にもそう書いてある。
その実直な積み重ねが遺憾なく発揮されるだろう。
モーションを作るのが大変?
安心したまえ、PPPはソロ曲があるのだ。
メンバー一人ひとりをフィーチャーしたストーリーを組めば、12話中5話は埋められるであろう、一人分のモーションなので制作の手間もだいぶ軽減されると予想出来る。
そして各話をつなぐ要素として、新たなユニット「Gothic×Luck」(以下ゴクラク)を活用することが出来る。
PPPに対するライバル的存在の彼女たち、その神秘的で妖艶なダンスはフレンズを次々と虜にしていく。
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途中で対バンもあるだろう。
しかし、彼女たちの真の目的はPPPを妨害することではなく、フレンズから”輝き”を集め、その力によって巨大セルリアンを倒すためだったのだ。
それに気づいたPPPたちは、ゴクラクと共同戦線を張ることを提案する。
最終決戦
パーク最大のホールで、PPPとゴクラクの合体最強ユニットの歌と踊り、そして、観客のフレンズたちの合唱が一つになる、その強大な”輝き”を喰らい、巨大セルリアンは爆発四散!ナムサン!
そうして、戦いは終わり、パークに平和が訪れた。
しかし、PPPたちの旅はまだまだ続く!
第二部、完!
……なぜこれをやらなかった!
なぜこれをやらなかったんだ!
木村監督!
4:うんうん、それもまた、”けもフレ”だね!
妄想はこれくらいにして、今後の話をしていこう。
まずKFPは徹底的に反省して頂きたい。
今回の失敗は明らかに、
木村監督を招聘しておきながら、「けものフレンズ2」を、前作と近似した方向性に固定し続け、その才覚を全く発揮出来ない形にしてしまったこと。
それが原因である。
それをしてしまう、利己的で保守的な現状の体制……それは”誰が悪者か”という下らない犯人探しとは別な、”それ全体のシステムとしての体制”として、大きな構造的欠陥を抱えていることは本件でよく自覚されたことと思う。
私が一ファンとして提言するとすれば、
”「けものフレンズ」は、これまでの漫画、アプリ、アニメなどの設定や時系列、動物へのリスペクトといった部分をしっかりと堅持しつつも、同時に、「けものフレンズ」の幅広いポテンシャルを最大限利用して、クリエイターが存分に自分の個性を発揮できる「フォーマット」としての懐を何よりも優先して広げて頂きたい。”
といった所だろうか。
それが満たせないメディアミックスは、クリエイターの個性を阻害する檻にしかならない。
この現状を、自由にのびのびとクリエイターが個性を発揮できる広場へと変化させてほしい。
全てはそれからだ。
そして、私達ファン側もKFPほどではないが、しっかり反省しなければならないことがある。
今回、2でKFPがこのような路線を維持したのは、我々ファンサイドが、必要以上にアニメ「けものフレンズ」のみをけものフレンズとみなすような行動をし続けたーー降板が決定した後もーーそれが、今回の原因の一端にあることは考え過ぎではない、と思われるからだ。
我々が「たつき監督のけものフレンズ」を、それが不可能になってしまってからも求め続けてしまったために、KFPは「たつき監督のけものフレンズのようなもの」を提供するという盲目的な結論のみが先行してしまった。
「たつきを信じろ」の10分の1、いや、100分の1でもいい、「新たなけものフレンズを信じろ」という言葉があったならば、KFPはもしかしたら、たつき監督の前作に振り回された、今作のようなムーブをしなかった可能性がある。たつき監督のものとは別の、”新たなけものフレンズを創る”という気概が生まれたかもしれない。
まぁ、結局そういうムーブをしてしまったKFPが一番悪いのは言わずもがなではあるのだが。
そして。
これから、けものフレンズに関わる全てのクリエイターには、最大級の信頼を持って、この言葉で後押しをしたいと思う。
競うな、真似るな。
持ち味を活かせ。
そうして創られた
”貴方の”「けものフレンズ」が、
真のけものフレンズだ。
私達は、少なくとも私は、そうして出来た”けものフレンズ”を精一杯応援し続けたいと思う。
5:目一杯楽しませて貰うぜ、けものフレンズ。
と、つらつらと書いてきたものの、私個人としては「2」によってけものフレンズに対する期待を失ったかと問われても、「いや、全然大丈夫です」と答えられてしまう。
正直、この程度の事は想定内であり、この時点でこういう問題が表出したのは幸いであったとすら思える。
そして、けものフレンズがここから持ち直す可能性はどれほどかと聞かれれば、私は胸を張って「100%」と言いたい。
少なくとも私にとって、このIPの持っているポテンシャルは底無しだ。この程度の失敗でそれが失われるなどという事は絶対に無い。
今回の失敗の反省を活かして、次回に繋げさえすれば余裕で再起できる。というより、KFPの体制の問題以外で再起出来ない理由が見つからない。それくらいの期待は十分にしている。
そして、一期のファン、2のファンが再び「けものフレンズ」を心から楽しめるような作品が作れるか、との問いにも、私は堂々と「YES」と答えるだろう。
1期、2に触れない時系列での話でそれは可能である。
というのはもちろんの事だが、
今現在開示されているけものフレンズの設定を極限まで駆使すれば、ほぼ矛盾なくすべての作品を併存させ、分離させ、なおかつ接続し、一つの体系にすることは十分に可能だ、と私は思っているからだ。
”あのアイテム”と”あの女性”、そして”例の異変”を温存しておく事が緩い条件ではあるのものの、少なくともそれが信じられる限り、私は何も不安に思う事なくけものフレンズを存分に楽しみ続ける事ができる。
これは二次創作に限りなく近い最強最大の冷奴なので、信じるか信じないかはアナタ次第。
冷奴食えや~っ!
と、いうわけで、「けものフレンズ2」に対しての私の総評は以上である。
長文乱文、失礼致しました。
それでは、
”たつき監督の”ではない、
”木村監督の”でもない、
”SEGAの”「けものフレンズ」である「けものフレンズ3」で、
そしてその先の、”未だ見ぬ誰かの”「けものフレンズ」でまたお会いしましょう。
お疲れ様でした!
それはそれとして漫画版はいいぞ。
俺も買ったんだからさ。