「けものフレンズ2」9話は過去最高に”優しすぎる世界”だった。
アニメ「けものフレンズ2」
その9話はけものフレンズのファンから相当な物議を醸した。
問題となったのはゲストキャラクター、「イエイヌ」の扱いについてである。
キュルルをかばって傷だらけになったイエイヌ、しかし、キュルルは野生解放したサーバルを褒めて、イエイヌには何も労いの言葉をかけなかった。
「優しい世界」に夢中になったファンにはやすやすとは受け入れられない内容。当然、私のタイムラインは阿鼻叫喚の嵐であった。
ニコニコ生放送のアンケートは「よくなかった」を示す5が9割を超え、歴代2位の低評価だという。
(どっかで見たような始まり方だなぁ…)
そんな9話を私はどう受け止めたか。
正直に書こう。
感動のあまり、けものフレンズで初めて泣いてしまった。
読者の方が引いているのを感じるが、本当の事である。
……というわけで、
「なぜ、私が9話で泣いてしまったのか」をつらつらと書いていこうと思う。
無論、これは考察班謹製、季節外れの冷奴である。
食べた上での 腹下しなどは自己責任とさせて頂こう。
それでは、どうぞ。
1:ヤンデレのイエイヌに死ぬほど愛されて眠れないキュルル
まずは、けものフレンズ2で、イエイヌはどんな行動をし、どんな言葉を発していたかに注目して、9話を紐解いていくことにする。
一応、ネタバレ注意。
9話以前、イエイヌは探偵のオオセンザンコウとオオアルマジロのコンビに、「ヒトの捜索と確保」を依頼した。紆余曲折あったものの、8話でとうとう、キュルルはサーバルとカラカルから引き離されて、イエイヌと対面することになる。
イエイヌはキュルルを見るなり、抱きつき、喜びを顕にする。
イエイヌは「おうち」をヒトの住む所だと知っていた、そして、自分がずっとヒトを待っていたおうちへとキュルルを案内する。
イエイヌ「ここはずっと昔、何人ものヒトがいたんです!私も一緒によく遊んでいました~!でも…ある日、みんないなくなってしまって…でも、いつかここに戻ってきてくれると思ってました~…だから一人で、ずっとお留守番してたんです…」
しかし、キュルルは残念ながら、その部屋に見覚えが無かった、しかし……
イエイヌ「でもいいんです!あなたがヒトであることは間違いないですから~!私はヒトと会えただけで嬉しいんですー!っさあ、何か言って下さい!私にあれをやれとか、これをしろとか!どうぞ遠慮なく!」
と、キュルルの言う通りに、お座りやお手、フリスビー遊びなどを楽しむのだった。
と、そんな所に、センちゃんとアルマーに連れられたサーバルとカラカルがやってくる。駆け寄るキュルル。
しかし、カラカルは嫉妬から心配かけておきながら、呑気に新しいフレンズと遊んでいるキュルルとケンカ別れしてしまう。
そんなカラカルに、イエイヌはこう告げるのだった。
イエイヌ「 その二人に頼んでキュルルさんをここに来させたのは、私なので!
でも、おかげであの子も無事におうちに帰ることが出来ました!
ここまでキュルルさんを守って下さって、お二人には本当に感謝してますー!あとは私にお任せ下さい!」
ここまでの内容をまとめよう。
イエイヌは
・ヒトの帰りをずっと独りで待っていた。
・ヒトに逢えて嬉しい、このおうちに住んでいなかったヒトだとしても関係ない!
・ヒトの言うこと聞くのたのしい!一緒に遊べてうれしい!
・というわけで、キュルルのおうちはここ、キュルルを守るのは私!
と思っている。
つまるところヤンデレである。
この時のイエイヌの心情を一言で表すならば
キュルルに対して「おうちへおかえり」と、歓待の限りを尽くしたい。
とでもなるだろうか。
後半も、イエイヌのキュルルに対する溺愛っぷりは変わらない。
イエイヌ「私ほど上手くはないですが、あの子もまた、ヒトと心を通わせる事の出来る動物なのでしょう…」
ここにも、イエイヌのカラカルに対するマウントヒトに対する思いの強さが現れている。
しかし、キュルルはまだ、サーバルとカラカルのことを心配していた。ビーストの唸り声を効いたキュルルは、二人に危機を知らせるために飛び出す。
イエイヌは後を追い、キュルルを説得する。
この時のセリフにご注目して頂きたい。
イエイヌ「帰りましょう、この辺りは危険ですから…」
キュルル「でも…」
イエイヌ「もう、あの二人のことは忘れて下さい!」
自分もずっとヒトを忘れられない事を棚に上げた、ヤンデレの極みである。
ここまでならばさして心動かされる事は無い。しかし…
3:イエイヌの変化、そして……覚悟。
クライマックス
二人の前に突然ビーストが現れる。
キュルルを守るため、傷つき、ボロボロになっても戦い続けるイエイヌ。
キュルル「もういいよイエイヌさん!」
イエイヌ「いいえ…戦わなければ…ヒトの…ために…!」
しかし、イエイヌは思わぬフレンズに助けられる。
カラカル「そんなんじゃキュルルを任せるわけには、行かないわ!」
華麗な身のこなしでビーストを翻弄するカラカル、そして、野生解放の威圧だけでビーストを退散させてしまうサーバル
それを見て、イエイヌは決意した。
戦いが終わり、イエイヌはカラカルに告げる。
イエイヌ「私は、やっぱり、一人で戻ります…」
この一言に、イエイヌの覚悟が全て詰まっている。
こう発したイエイヌの心境に大きな変化が生まれたのは間違いない。
サーバルとカラカルを心配するキュルル、キュルルのピンチに駆けつけるサーバルとカラカル。
そして、サーバルとキュルルの睦まじい様子。
それはイエイヌの目に、自分と飼い主のかつての姿のように映ったに違いない。
きっと、キュルルを彼女たちから引き離すことは、自分がヒトと別れた時の悲しみをキュルルに与える事になる。
彼女はそう気付き、静かにこう発した。
イエイヌ「キュルルさんを引き離すような真似をして、すいません…仲間を失う気持ちは、よく知っていたはずなのに…」
そう、彼女はとうとう”愛故に”キュルルと別れる事を決意したのである。
正直、これだけでもうるっときてしまう。
だが、話はまだ終わらない。
まだ不可解な点が残っている。
単に別れるだけならば、イエイヌは、キュルルたちと一緒におうちへ帰り、それから別れるという選択をすることもできたはずなのだ。
もしそうしていたならば、
イエイヌは絶対にキュルルに感謝されるだろう、褒められるだろう。(イエイヌと別れた直後に、キュルルはサーバルやカラカルにお礼を言っているくらいなのだから)
間違いなく傷ついた身体を洗ってもらえるだろう。
多分日が落ちるまで一緒に遊んでくれるだろう。
きっとお家で一緒に紅茶を飲んでくれるだろう。
ともすればおうちで一泊してくれるかもしれない。
それはイエイヌにとってこれ以上ない幸せに違いない。
だが、彼女はそうしなかった。
その理由は明確には語られないが、こう考えると、後々のつじつまが合ってくる。
『もしそうされたなら、キュルルとの別れがより一層辛くなってしまうだろうから』
そのことは、ヒトと別れた時の経験からよく分かっているはずだ。
ともすれば、恋慕のあまりに別れられなくなってしまうかもしれない。
イエイヌはそれを危惧したのだ。
だから、イエイヌはキュルルの言葉を遮り続けた、その先の言葉を聞かないように。
イエイヌ「キュルルさん!」
キュルル「ん?」
イエイヌ「会えて嬉しかった!」
キュルル「イエイヌさん…」
イエイヌ「キュルルさんは旅を続けて、やはりご自分のおうちを見つけるべきです!」イエイヌ「私も、あのうちにいた人たちが戻ってくるまでお留守番を続けます!それが私に課せられた、使命ですから!」
キュルル「イエイヌさん…」
イエイヌ「そうだ!……」
そして、自分から”最後”を突き付けた。
イエイヌ「そうだ!最後に、言ってもらえませんか?」
その最後の言葉に、『ありがとう』を選ぶ事もできただろう。
『おつかれさま』を選ぶことも
『だいすきだよ』を選ぶことも
『あいしてる』を選ぶことも出来たはずだ。
だが、彼女が選んだ言葉は……
イエイヌ「『おうちにおかえり』…って!」
それは、私達が迷い犬を逃がす時の言葉。
キュルルはその意味がよくわからなかったのだろう、首をかしげながら復唱する。
だが、それで十分だ。
キュルルにそう言って貰えることで、イエイヌは、キュルルが自分のご主人様では無いことを自覚できたのだから。
だから、この涙は、口元が笑っていても、決して嬉し涙なんかじゃない。
悲しい「別れの涙」だ。
しかし、この言葉で、イエイヌは踏ん切りをつけることが出来た。「ありがとう」には、そんな思いが込められているのだろう。
そして、イエイヌは踵を返し、決して振り返ること無く走り去るのである。
今までのけものフレンズで、こんな別れ方をしたフレンズは彼女を置いて他にはいない。大体のフレンズは、主人公たちを見送って別れていた。
だが、彼女は自らこの別れ方を選んだ。
キュルルからの感謝の言葉や労りを犠牲にしてキュルルへの未練を断ち切った。
そして、いつの日か、本当の飼い主に出会える事を信じて走り出したのである。
ここまできたら、もうこう結論付けるしかない。
キュルルがイエイヌに感謝しなかった(イエイヌがキュルルに感謝させる隙きを与えなかった)のは、完全に彼女の計算の内なのだと。
すべては、キュルルの幸せのために、キュルルときっぱり別れるための、彼女の優しい選択だったのだと。
それこそが、9話ラストで描かれた事の本質ではないだろうか。
それに気づいた瞬間、涙が止まらなかった。
4:救いはないんですか!?
さて、どうだろうか。
感謝を拒み、労りを拒み、むしろヒトの幸せのために自発的に離別を求めるイエイヌ。
ぐう聖である。
さっきまでヤンデレだの言っていたのを、心より陳謝したい。
こんな子をこんな目に遭わせるなんてどこのどいつだろうか。
あ、人間だ……
ここではじめて、私達は、「ヒトの業」を「ヒトとイヌの関係の歪さ」を自覚するのである。
もう15年も経っているが、「へんないきもの」という本が大ブームとなった。
その続編「またまたへんないきもの」の中に、なんと、イヌが登場するのである。
特段珍しくもなく、驚くべき身体的特徴もない動物が”へんないきもの”とはどういう事か。
その理由はこの一言に尽きる。
「ここまでヒトに都合の良い動物って、他にいるだろうか」
考えてもみて欲しい。
人間にこれほどまで正直で従順で、役に立ち、人間に都合の良いように大なり小なり品種改良されまくられ、飼われ、捨てられ、殺される寸前まで人を信じつづける。
きっと本気を出しさえすれば、オオカミのように、ヒトに反逆の狼煙を上げることだって出来るはずなのだが、彼らはそれをしない。
そんな愚直な動物は、イヌを置いて他に無い。
(出典:早川いくを、『またまたへんないきもの』、バジリコ株式会社、2005、130.131)
人を思いやり、人に尽くし、それを喜びとする
故に、イエイヌはパークに放置されたとしても、ヒトを恨むこと無く、ずっと家族の帰りを待ち続けているのだ。
愚直に、ひたすら愚直に。
彼女を救う方法は無いのだろうか。
彼女を冒険へ連れて行くのか?……それは彼女の「おうちでヒトを待つ」という意思を、ヒトのエゴで上塗りするだけである。
彼女と一緒におうちに住み続けるのか?……それは、不本意のままサーバルやカラカルと離別し、旅を終わらせることである。イエイヌは決してそれを望まない。
もはやキュルルの同情や思いやり程度では、彼女は決して救えない。彼の一生をイエイヌに懸けるならば話は別かもしれないが。
故に、あの時点のジャパリパークでイエイヌを救うのはほぼ不可能、というのが私の考えだ。もう既に何もかもが遅すぎる。かばんちゃんもダメっぽいし。
一つ福音があるとすれば、ジャパリパークが我々から見て”未来”にあるという事である。
彼女のような存在を生み出さないために、私達はイヌに対して、どう向き合っていくべきなのか。
それを考え実行していくことで、もしかしたら未来が変わるかもしれない。
それこそが、真に彼女を救う、最も正しい方法なのだと、私は思う。
この記事が、人々の心を作品へのヘイトから動物への思いやりへと向けられるきっかけとなる事を祈って、締めとしたい。
犬の10戒 pic.twitter.com/oZRpB88e36
— サージャ (@166j357) March 11, 2019